皆さんは毎年初詣とか神社にお参りに行くことはありますか?
お賽銭いれて、手を合わせて・・・
その時何を考えていますか?
初詣の時だときっと
「今年一年も健やかに過ごせますように・・・」など
そんなお願いをしているのではないでしょうか?
私は別にその行為について否定はしません。
しかし、その願い的なやつって一体どこの誰に対してのお願いなのか
皆さん考えたことがあるでしょうか?
これは私が昔から凄く疑問に思っていたことで、神社でお願いごとをしても
不特定多数の人たちのいう事を、
その神様とやらは本当に聞いてくれるのでしょうか?
その願いはかなえてくれるのでしょうか?
ま、そういう行為をしたという気の持ちようが大事なのは分かっています。
お賽銭にしても、1円入れようが1万円いれようが
おそらく何も変わらないでしょう。要は気の持ちよう、それだけです。
そのお賽銭の行方って考えたことありますか?それは主に神社の運営です。
当たり前ですがその神社の神様のお給料ではありませんよ。
詳しい記事を発見しました👇
宝くじが当たりますように!とか
彼氏彼女が出来ますように!とか志望校に合格しますように!とか
願っても無駄ですからね!!
そもそもそんな願い事をかなえてくれる神様はいませんから!
よく厄年に神社へお払いに行くなんてこともやってるらしいですが、
これも本当に無駄で、単に神社が儲けるための口実みたいなものです。
5000円払った!高いコースの10000円払った!!
・・・で?って感じなので。お払いをしてもらったのに
事故った、大けがした、病気したって人、私身近に何人も知ってます(笑)
じゃあ、神社でお参りって意味ないの?
意味ないよと言ってしまえばそれまでですが、
そもそも神社ってのは願い事をしにいく場所ではないんですね。
ここからが大事!
本居宣長は言いました。
「人は生まれて死ぬまで神の恵みの中に居る」と。
どんなときでも常に感謝の気持ちを持ち、「ありがとう」という気持ちで
神社に出向くことが本来のお参りなのです。
てことなのでね、正月だから行く(行かなきゃいけない)とかね、
厄年だからお払いに行くとかね、そういうのじゃなく、
気が向いた時にね、皆さん神社へ感謝の気持ちを伝えに行くっていうのが
良いのではないでしょうか?
良いことがあった後に吉報を届けに行くとか、そういうのも良いと思います。
ああ、そうそう、絵馬とかも意味ないですから!(笑)
あんなのただの自己満足!あなたの願いは叶えません!